Aug 5, 2005

羞恥心

 満足しているということは、それだけで、悪い。飢えている者に対して、ごめんなさいと心の中で呟かなければならない。
 もちろん、そんなことを直接、口にするわけではない。口にしたとたんに、それは偽善になる。
 ・・・善いことをする場合、最後まで善いことを全うする唯一の方法が、匿名だろう。
 善いことをするのは難しい。人の目を意識したとたんに、それは偽善になる。
 善いことをするときは、隠れてしなければならない。内緒でしなければならない。他人にばれてはならない。誇らしげに善いことをしてはならない。
 万が一、善いことをしたのがばれてしまったら、恥ずかしそうにうつむいてその場を逃げだすしかない。
 だいたい人目を意識して善いことをするなんて、じつに格好悪い。
 満員電車でこれ見よがしに老人に席を譲るくらいなら、そのままふんぞりかえっているほうがましだ。得意そうに席を立つ。そのデリカシーのなさは絶望的だ。
花村萬月 「猫の息子 -眠り猫II-」

 ははは、笑えますね。小説の中の台詞ですから、もちろん極論です。しかし、極論だからこそ、真実そのものだと思いました。やはり、自慰とは秘めやかな行為であるべきで、貧乏くさい行為は何より慎むべきだと思います。
 こういう考えは潔癖に過ぎ、絶望的な破綻を内包しているようで怖くなるのですが、それでもやはり真実というものを追求すると潔癖になりがちです。これは俺が青いだけでしょうか。それとも単なるマゾヒズムでしょうか。さて。

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