Jan 3, 2006

愛情測定基準

 今年一発目は、世にも役立つ「人の愛情を測るための基準」を大胆にも提案してみようかと思います。

 さて、誰しも自分が愛されている か、さらには自分が誰かをちゃんと愛せているかを気にしたことがおありでしょう。でも「オトナ」になればなるほど、正面きって「あほ、おまえなんか嫌い じゃ」とか「ああ、オードリー愛しているよ」とは残念ながら言わなくなってしまうものです。そこで、そんな面倒くさいオトナ達は「臭い」という基準をもっ てみたらいかがでしょうか。
 嗅覚というのは五感のうちでも、他のものに比していくぶん本能的であり、理性の介入が少ないのではと思われることか ら、人の発する臭いの好き嫌いをそのままその人に対する愛情の程度に置き換えてみてはどうだろうか、という荒っぽい発想です。根拠は弱いですがそれなりに 実用性はある、、はず。
 例えば、好きな女の臭いって、あんなのもこんなのもokじゃないですか。他にも、親しい友人が腋臭だったとしても、臭 せぇ!!けどなんとなく一緒に車に乗ってられますよね。でももし、全くの他人が同じように臭かったら、それはナシでしょ。ポイントは「臭いもんは臭い」で す。恋人でも友達でも臭いもんは臭い。好きだからって臭いもんが臭くなくなる訳はなく、やっぱり臭い。「けど」ですよ。臭いけど受け入れられる、なんかこ の感じが「愛情」てものに近いのかなぁと思うのです。(□いものを□いままでという話なので、□いものが○くという倒錯された嗜好をお持ちの方の場合は、 またちょっと話が別ということで。。。)
 上記のような判りやすい場合には、何も「おら基準だ」といってわざわざ持ち出す必要もないのですが、 やっぱり人間関係いろいろビミョ〜なものが多いですから。だから、少ないとは思いますが、自分の女でもシャワーを浴びてからしか抱かないってのはやっぱ ちゃうんやろう。出がけに彼女から「あんたシャワー浴びていきよ」と言われてまうのも、なんとなく悲しいものがある。う〜ん。部屋に散らかった自分の靴下 を菜箸でつままれた日にゃもう駄目だろう。よく一緒に昼飯を食う職場の同僚が、風呂に入ってなく臭かった時に、「おまえ今日はえっらいくさいなぁ」と笑い ながら言わずに、それとなく一緒に食うの止めてまうしまうのでは、そいつとは友達ではないのだろう。もっと具体的に言えば、一緒に食うにしてもいつもより 気持ち離れて座ったりすると、その微妙な距離が微妙な「情」を表象しているということか。とまぁ、考察は尽きないので、皆さんでいろいろ挙げてみて下さ い。
 ちなみに、これは自分に対する愛情についてもなかなか有用です。シャワーを浴びずには、もしくは、これでもかと香水をふらずには決して人前 に出られない、という方などはちょっと心配です。度が過ぎると、ファッションやマナー、健全な羞恥心を超えて自己嫌悪むき出しです。どうかご自愛下さい。

 以上、そもそもの発想が荒っぽかったり、「臭い」だってかなり抽象的で基準たり得ないとも言えますが、それでも「愛情」よりかは十分具体的だと思うので、まぁ参考程度に意識してみてはいかがでしょうか。おわり。

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