Apr 14, 2006

テクノロジーの描く未来

 先日WBSに梅田望夫さんが出演なさっていたのをきっかけに、話題の「ウェブ進化論」を読んでみました。これからの人生を変えかねない程の衝撃を受けたので、少し詳しく書いてみます。感想は、ずばり「テクノロジーは再び明るい未来を描くかもしれない」です。

 昨今は、社会は閉塞感で満ち満ちもの凄く生きにくい時代だと言われます。なにせとかく「暗い」。夢や希望という、人生の指標として多いに用いるべき概念が絶対的に抱きにくくなっている。今の子達は大変だなぁとちと不憫に思います。
 大阪万博、東京オリンピックに象徴される高度成長期といえば、「明日は今日よりもっといい」という夢と希望に溢れた時代と語られますが、その高度成長期と現在との最たる相違点は、科学そして具体的なテクノロジーが持つチカラだと思う。当時のテクノロジーは常に明るい未来を想像させる力をもっていたのに対し、現在のテクノロジーにそのような力は皆無で、あるのは過大な商業主義から漂う強烈な臭気だけである。パイの奪い合いに疲弊しては、あるはずもないウォンツを無理矢理創出して「隣人はニーズを感じていますよ」と吹聴する。自動車、住宅、PCと枚挙に暇はありませんが、中でもやはり最たるものはケータイ業界でしょうか。ひどすぎます。
 かような「大衆=衆愚」という認識が垣間見える手法は、いかにも権力的で、吐きけをもよおします。現代の物質的に成熟した社会では致し方ないのかもしれないが、もう少しでも洗練されたマーケティング手法はないものなのだろうか。

 お察し頂けるかもしれませんが、いかにも俺はペシミストでして、まぁいい年なんで全てを「社会」のせいにはできませんが、それでも幾分かの影響を受けてぼんやり生きていました。しかし違った!本書が教えてくれました。テクノロジーは再び明るい未来を描くかもしれない。
 筆者は、アメリカ同時多発テロ発生後の憂鬱な時期に、グーグルから勇気と元気の源を与えられたそうですが、俺も本書からこれから先生きていく元気の源を与えてもらいました。表紙にもうたわれていますが、まさに本書自身が「オプティミズムと果敢な行動主義」に満ちています。

 たまたま本書と同時期に、村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読みました。そこでは、個の滅却によってもたらされた絶対安息の「世界の終わり」をアンチテーゼとして描きながら「個」の尊さを伝えていました。
 僕は昔やっていたのと同じように影をひきずり、悩んだり苦しんだりしながら年老いて、そして死んでいく。たぶん僕にはそういう世界の方があっているんだろうと思う。心にふりまわされたりひきずられたりしながら生きていくんだ。
 本書はそんな「個」について、米ニューヨーカー誌のコラムニスト、ジェームズ・スロウィッキーの著書『Wisdom of Crowds(群衆の叡智)』を紹介して、
 「個」が十分に分散していて、しかも多様性と独立性が担保されているとき、そんな無数の「個」の意見を集約するシステムがうまくできれば、集団としての価値判断のほうが(優れているとされる「専門家」より)正しくなる可能性がある。
と述べています。そして、そんな
 不特定多数無限大の良質な部分にテクノロジーを組み合わせることで、その混沌をいい方向へ変えていけるはず
であり、
 私たちはそれを考えていかなければならない
と結んでいます。

 無論両書を結びつけるのは単なるこじつけですが、偶然にも「個」の尊さを再認識していた時にその理念を実現する具体策を提示してもらったような気がして、すっかり幸せな気分になれました。これは夢でも理想でもない、単なるコトバではない具体的なテクノロジーはかの明るい未来を描いているのだ。

 最後に、グーグルは2004年8月の株式公開に際してこう言ったそうです。

Making the world a better place

そうじゃないかもしれない。でも、そんな未来を俺も描いていこうと思う。

Apr 7, 2006

Why don't you live with Mac ?

 基本的に時事ネタは避けてきたのですが、今回はちょっとそうも言ってられない程ドラスティックな変革を予感させるものなので、禁を破ります。そう、"Boot Camp"です。
 本当にいいタイミングだと思いました。1. Vistaの延期、2. Intelスイッチ後も大きな問題なくOS Xがあり続けていること、3. XOMの振りまいた話題性が冷めていないこと、とかとか。
 1. Vistaの遅れはそのままXPの延命を意味する以上、XPの動くMacとはなんとも魅力的だ。ここは多言を要しない。2.「Intelでも問題ないんだってぇ」の今、ちゃんとMacたり得ることは判った。では次は。てか、「Intelになったからってなんなの?」という疑問に対して、抽象的なビジョンの提示だけでは弱い。また今感じられる処理速度の向上も、"4x FASTER"など所詮数字に過ぎず、それのみで払拭しうるものではなかった。皆やっぱり「なるほどIntel」という与し易い答を求めていたのだが、そこに「IntelになったからWinが動きます」とはあまりにも明快だ。明快すぎるくらいだ。3. その期待の象徴がXOMであった。未完全ながらもちゃんとMacでWinを動かせてみせたXOMは、夢を現実の世界に引っ張ってくるものとして十分なインパクトであった。"Boot Camp"は、アッチからコッチの世界にやってきたまだカタチの定まらぬ夢をあっさり具現化してしまった。素晴らしい。

 Winにも提供したからこそiPodは成功しました。独自規格での囲い込みなどという古くさい手法は今のAppleには似つかわしくない。そんなのはSonyがいつまでもやってればいいのです。今日も皆がWinを使っていて、おそらく明日も必要だという厳然たる事実を受け入れた上で、Macという素晴らしいPCもありますと提案すればよい。それが賢く、そして、美しい。

 現在、PCとはなんだろう。情報ツールでありコミューニケーションツールであるのに加えて、アート、ビジネス、エンタメ等々に利用され、完全に現代の生活にとけ込んだ耐久消費財となっている。そのようなPCも、今では5万くらいで買えるものもあるが、もう十分安いんじゃないだろうか。
 LOHASという言葉が使われ出してしばらくたちましたが、(相対的に)Winに対してのMacは十分LOHASであるような気がします。単にWebサイト一つとってみても、Macで見るそれはなんと「優しい」印象を受けることか。ディスプレイに表示される文字一つが、とても柔らかく読み易い。様々なソフト・ファイル、ウィンドウの操作も、Macだと何だか「楽しい」ものです。さらには事務作業だって、ExcelはMicrosoftの代表作であるのに、どうしてこれがMac版の方が使い易く、「よりExcelらしい」と感じてしまうのは俺だけではないはず。
 LOHASというコトバはどうあれ、昨今人々のライフスタイル、金銭観は確実に変化してきていると思います。それは景気が上向いてきているのもありますが、それ以上に閉塞した社会の副産物ではないでしょうか。まぁ何にせよ、確かに抽象的な「5万円」という金額自体は(少なくとも俺にとっては)ちっとも安くはない。財布に入っていることも少ない、かなりの大金だ。しかし、上記の通り限りなく必需品と化したPCは、それがいいものであるなら、別に5万円じゃなくてもいいんじゃないだろうか。別にそれが10万円であっても、あと5万円で豊かさが買えると思えば納得できるものではないだろうか。で、少々下衆な計算をすると、mac miniの75,000円にWinXPを買っても10万円は越えない訳で、もうこれぐらいでいいんじゃないのという気がします。 ハンバーガーは100円でなくてもいいし、牛丼も300円じゃなくてもいい。それよかもう少し旨い方がいい。PCだって、より心地いいタオヤカな生活をもたらすなら5万円じゃなくていい。

 「もうみんなMacを買えばいいと思う」というタイトルのこの記事は、最後にこう結んでます。

いよいよMacを選ばない理由が見当たらなくなってきた