Sep 5, 2011

麗らかな春の日にちと困る



理想的に暖かく、美しく、静かで、平和な日に僕という存在はその完璧さの中に融けてしまいそうになる。暴力的にバラバラになるのでなければ、理想に逃げ込むわけでもなく、ただ気づけば僕と外の世界との境目が消えていくのです。一生懸命生きるために日々せっせと補強していっている「僕」という容れ物が、圧倒的な真実によって陳腐化されその必要性を失ってしまうのです。現象としてはとても素敵なSexと近いものがあるかもしれない。ただ一つ決定的に違うのは、僕は独りで、何もしないということです。ただ完璧な日和のもと公園のベンチで本を開いていると、少しずつ楽になっていく自分に気づくのです。昔だと「死にたくなるとき」と表現したかもしれない。でもそれは正しくなく、その瞬間に僕は何かをしたくなるのではなく、然るべきところに納まっていっているという感じなのです。

僕はまずまずしっかり生きていると思う。少し前にはとても難しかった、ambitionというようなものも獲得できたような気がする。 I’ve been striving to reclaim myself for this period. As a result, I guess now I’m successfully in between want-to-live and should-live; at least, no longer want to die after countless back & forth. だからこそ、この「死」というものに包容される瞬間に恍惚としつつも困ってしまうのです。