May 13, 2012

週末だわ、孤絶だわ


僕は、控えめに表現しても、週に一度くらい孤絶します。言い換えると、皆と同じく週に一度くらいはリラックスします。

普段32歳の大人を保つために身にまとっている“責任”という名の鎧をドサッと脱いだ瞬間に、世界を構成している寂寥にすぅ〜と包容されるのです。

孤絶するからリラックスできるのではなく、鎧を脱いでリラックスするから孤絶せざるを得ないのです。僕だって、しなくて済むなら孤絶なんてしたかないですよ。でも、これが世界の成立ちだと思うので、あきらめて受け入れることにしています。村上さんに言わせると、
“この惑星は人々の寂寥を滋養として回転をつづけているのか”
ということです。(スプートニクの恋人)

昔は、発狂した。ただ辛いだけではなく、何がおこっているのか、どうして辛いのかが分からないもんだから、気がふれるしかなかった。今は孤独というものを少しばかし理解しているおかげで、少なくとも何がおこっているかは分かるので、正気ではいられる。

でも、この孤独の理解というものは曲者で、一般に言われる何かを理解するという状態とは根本的に異なる概念に思われる。通常、何かを理解すると多少なりともその対象の取り扱いが上手になるものだが、こと孤独に関する限りこの理解という状態は何の救いにもならず、孤絶するときはやっぱりただただ無力で苛まれるしかない。辛さそれ自体は何一つとして軽減しない。

正直、そんなのズルいよ、苦労して理解したって何の役にも立たないなんて、割が悪すぎる。ねぇ、ちょっとぐらい楽になってもいいんでない?と期待したりもした。でも、ほんっとに、なんっにもない!!よって、あきらめて受け入れることにしました。

ふぅ、あと何千回孤絶しなければならないものか、やれやれ。